人と比べ続ける人生はずっと終わらない。
婚活が終わったと思ったら、次は子供。次はマイホーム、次は——と、気づけばずっと誰かと比べ続けている。
やっと一息つけると思っていたのに、また誰かと比べている自分がいる。人生は、次々と“比べるステージ”がやってくる。
私がもしこの先、仮に妊娠、出産をしたとしたなら、そのあとは2人目、3人目の壁が来て、次は子供の進路や就職先、挙句の果てには孫の有無まで周囲と比べ始めてしまいかねないと思った。
私が私自身のことで周囲と比較して勝手に落ち込む分には良いが、もし子供を持ったなら子供のことで比較するような親にはなりたくない。
どこかでこの比較癖をなくさなければならない。
人は人、自分は自分。
頭の中では理解出来ているのに、気持ちの面ではそう簡単に追いつかない。
私の場合は現状に満足がいっていなくて、どこか不満があった時にこの比較思考が出てきやすいことに気づいた。
満足出来ていたなら、他人なんてどうでもいいと開き直れるはずなのだ。
実際に幸せいっぱいの時は、仕事やプライベートで多少嫌なことがあっても、でも今私は幸せだからな!と思えて、精神的に満たされていてメンタルが揺らがなくなっていた。
誰かと比べて卑下してしまっている時は、現状に不満があったり何か満足出来ていない、悩みがある時が多い。
とはいえ常に満足な状態というのは持続可能な訳もなく、私はいつも何かしらの不満や悩みを抱えている。
そんな中で、私は私だと思えるようになるにはあと何年かかるのだろうか。
せめて少しでも比較して落ち込んだり自分を責めたりしなくなりたい。
私が最近気に入って見ている小籔千豊さんのYouTubeで面白い発言があった。
※以前紹介している記事があるので、YouTubeについてはこちら↓

小籔さんは、大谷翔平選手よりも俺の方が人を笑わせられるというニュアンスのことを自信を持って言っていた。実際、大谷翔平選手は誰もが認めるスーパースターだけど、喋りだけで人を笑わせるのは芸人の方ができるに決まっている。
人には得意不得意があるのだという話をしていた。
この話は非常に興味深く、また本質をついているような気もした。
他人と比較する時、私たちはその人の自分より優れているところしか見ていない。
見えないところでは、彼等にもたくさんの悩みがあり、私たちの方が優れているところだってあるのかもしれない。
私たちはその人達のたった一部しか見えていないのに、勝手に自分の方が全てが劣っていると思い込んでいる。
SNSのキラキラした華やかな女性達も、実は本当はお金に困っているかもしれないし、様々な悩みを抱えているのかもしれない。私たちは本当にたった一部しか知らないのだ。
職場の同僚達だって、幸せそうに見えても実はとても苦しい悩みを抱えているかもしれない。
私も職場ではとても幸せな人だと思われているかもしれない。
誰も私が過去にうつ病を患っていたなんて知らないのだから。
いつだって私たちはその場で見えていることしか見ようとしていない。ほんの一部を見ただけで、その人の全てが分かったような気になっている。そのことに気がついたなら、少しは気持ちが楽になる。
また、「人と比較しないようにするには」と検索してみると、他人軸ではなく自分軸で生きるようにするといいとよく見かけるが、正直具体的にどうしたらいいのかよく分からない。ただ、
他人ではなく過去の自分と比較するようにするといい。
という言葉はとても腑に落ちた。
次々と新たな壁にぶち当たって悩み続ける私だけど、過去の自分からしてみると、それだけ次々と先に進めているという考え方もできる。
私は確かに成長していて、成長しているからこそ新しい悩みに出会うのだと。
そう思うと足の速い人と遅い人がいるように、私は私のスピードでマイペースに、だけど確かに前には進んでいるように思えた。
たまに立ち止まってしまう時もあるけど、そのあとまた少しでも進めていたらそれでいいのかもしれない。
比べてしまう自分も、また自分。
それもまた、私らしさのかもしれない。
すぐに変われなくてもいいから、少しずつ自分のペースで進んでいけたらと思うようになってきた。
今はまだリハビリ中の私だけど、いつしか自然と他人と比較して落ち込まないような考え方が身についていくといいなと思う。
